音楽形式論の歴史的変遷:ソナタ形式の確立と展開
音楽形式論とは何か:歴史的文脈における重要性
音楽形式論は、楽曲がどのように構成されているか、その構造を分析・記述する音楽理論の一分野です。単に楽曲の構成要素を分類するだけでなく、時代ごとの美学や作曲家がどのように形式を捉え、創造性を発揮したかを理解するための重要な視点を提供します。「音楽理論マップ」が歴史的発展をたどることを目的とする上で、形式論の変遷を追うことは、音楽史全体の流れを理解する上で不可欠な要素となります。特に古典派時代に確立されたソナタ形式は、その後の音楽形式論において中心的かつ変容の対象となり続けました。本稿では、ソナタ形式の成立とその後の展開を中心に、音楽形式論の歴史的変遷をたどります。
ソナタ形式の前史:バロック期までの形式概念
古典派以前の時代においても、音楽には明確な形式原理が存在しました。バロック期には、組曲(Suite)、フーガ(Fugue)、コンチェルト・グロッソ(Concerto grosso)などが重要な形式として発展しました。
- 組曲: ダンスを起源とする複数の楽章から構成され、各楽章は異なるテンポや拍子を持ちながらも、通常は同じ調性で統一されていました。対比による楽章配置や、各ダンスの持つ固有の形式(二部形式や三部形式など)が用いられました。
- フーガ: 厳格な対位法的技法に基づいて構築される形式です。主題(Subject)が異なる声部で模倣され、展開していく過程が、フーガの構造を決定づけました。
これらの形式は、後の古典派音楽における形式原理、例えば主題の対比や楽章構成の考え方などに影響を与えましたが、単一楽章内での劇的な展開や調的な緊張と解決を組織化するという点で、古典派ソナタ形式とは異なる原理に基づいていました。
古典派におけるソナタ形式の確立
ソナタ形式は、18世紀後半の古典派時代に確立されました。啓蒙主義の時代の思想的背景、すなわち合理性、明晰さ、秩序への希求が、ソナタ形式の論理的な構造に影響を与えたと考えられています。ソナタ形式は、特にソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲などの第一楽章に好んで用いられ、楽曲の中心的な楽章を形成しました。
ソナタ形式の基本的な構造は、提示部(Exposition)、展開部(Development)、再現部(Recapitulation)の三つの主要部分から構成されます。
- 提示部(Exposition): 二つ(あるいはそれ以上)の性格や調性を対比させた主題が提示されます。第一主題は主調で始まり、第二主題は通常、属調(主調が短調の場合は平行調)で提示されます。提示部は、しばしば反復されます。
- 展開部(Development): 提示部で提示された主題やその断片が、様々な調性を経ながら、変奏、展開、結合されます。調的な不安定さが特徴であり、楽章の中で最も劇的な部分となることが多いです。
- 再現部(Recapitulation): 提示部で提示された主題が再び現れます。しかし、提示部で異なった調性で提示された主題(特に第二主題)が、主調で再現される点が特徴です。これにより、提示部で生じた調的な緊張が解決され、形式的な安定感がもたらされます。再現部の後に、終結部(Coda)が付加されることもあります。
この形式は、主題の性格的対比、調的な緊張と解決という二つの原理に基づいています。主要な理論家としては、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(Johann Joachim Quantz)、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach)、そして特にハインリヒ・クリストフ・コッホ(Heinrich Christoph Koch)が挙げられます。コッホは、自身の著作『作曲教程試論』(Versuch einer Anleitung zur Composition)の中で、ソナタ形式を含む当時の主要な形式について詳細な分析と規範を示しました。
ロマン派における形式の変容と拡張
19世紀に入り、ロマン派音楽が台頭すると、ソナタ形式はその基盤を保ちつつも、大きな変容を遂げました。ロマン派の作曲家たちは、より個人的な表現や情感の重視、規模の拡大、形式の自由化を追求しました。
- 規模の拡大と主題の増加: 楽章全体の規模が拡大し、提示部の主題の数が増加したり、主題そのものがより複雑な内的な構造を持つようになったりしました。
- 調性の拡張: 半音階的技法や遠隔転調が多用され、提示部や展開部における調的な計画がより複雑になりました。再現部においても、必ずしも全ての主題が厳格に主調で再現されるとは限らなくなり、調的な解決が遅延されたり、曖昧になったりする傾向が見られました。
- 展開部の重要性増大: 展開部は、単なる主題操作の場から、楽章全体のドラマティックなクライマックスを形成する場へとその重要性を増しました。
- コーダの独立性: コーダは単なる終結部ではなく、展開部のような性格を持つ大きな部分へと発展し、楽章全体の終結感を強化する役割を果たしました。
- 標題音楽の影響: 標題音楽では、形式が物語や情景の内容に従属する傾向が見られ、伝統的なソナタ形式の枠組みがより柔軟に扱われたり、新しい形式原理が模索されたりしました。リストの交響詩における変容する主題の扱いなどはその一例です。
アドルフ・ベルンハルト・マークス(Adolf Bernhard Marx)は、19世紀中頃にソナタ形式を理論的に体系化し、ベートーヴェンの作品分析を通してその規範を示しましたが、彼の理論は既に進行していたロマン派音楽における形式の自由化に対して、規範として機能しつつも、実態との乖離も生じ始めていました。
20世紀以降の形式論と分析アプローチ
20世紀に入ると、伝統的な調性や形式の枠組みが崩壊し、音楽形式論も新たな展開を見せます。シェーンベルクによる十二音技法や、ストラヴィンスキー、バルトークなどのリズムや音色に焦点を当てた作品、あるいは偶然性の音楽やミニマル・ミュージックなど、多様な音楽語法が登場しました。
これにより、特定の規範的な形式に当てはめて分析するアプローチだけでなく、個々の作品が持つ独自の構造や、作曲家が用いた構成原理を探求するアプローチが重要になりました。形式分析は、単なる楽曲の区分けから、音素材、リズム、音色、テクスチュアなど、音楽を構成するあらゆる要素がどのように組織化され、全体としてどのような構造を生み出しているかを多角的に分析する方向へと発展しました。
結論:歴史的視点から見る音楽形式論
音楽形式論の歴史は、単に形式の分類法の歴史ではありません。それは、各時代の作曲家が音楽をどのように構築し、表現しようとしたか、そしてその背後にある美学や思想がどのように反映されているかを示す歴史でもあります。ソナタ形式の確立と、それがロマン派以降に変容を遂げた過程は、音楽史における創造性と規範、伝統と革新のダイナミクスを鮮やかに示しています。
現代の音楽形式論は、歴史的な形式規範を理解しつつも、多様な音楽作品の分析に応用できるよう、より柔軟で包括的なアプローチを取り入れています。音楽理論史を学ぶ上で、形式論の歴史的変遷を追うことは、時代の音楽語法や美学的価値観の変化を理解するための確かな基盤となります。